ホームに落ちた人を救おうと犠牲になった韓国人留学生。最愛の息子を亡くし絶望の淵にいた母が来日して見た光景に胸がいっぱいに… - Now

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ホームに落ちた人を救おうと犠牲になった韓国人留学生。最愛の息子を亡くし絶望の淵にいた母が来日して見た光景に胸がいっぱいに…

2020-09-06

韓国人留学生

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2001年1月26日、東京・JR新大久保駅で痛ましい事故が起きました。

路線に転落した人を救おうとして日本人男性と韓国人留学生が路線に飛び降り、
3人とも列車と衝突し亡くなりました。

この事件が記憶に残っている方も多いのではないでしょうか。

母の悲しみ

この訃報を韓国で受けた母シン・ユンチャン。

「天が崩れ落ちた」ように感じたと当時の絶望した様子を語ります。

そもそも母ユンチャンさんは、日本に良いイメージがなく
息子の日本留学を反対したそう。

しかし、留学した息子スヒョンさんから聞く日本の話はどれも
彼女の想像した日本とは違っていました。

「日本は学ぶところが多くて、良いところがたくさんある国。
日韓のお互いの過去に執着することは、双方の利益にならないと思う。
僕は日韓の架け橋になりたい」

スヒョンさんはいつもそんな話をお母さんにしていたそう。

しかし、2週間後に彼はこの世を突然去ることに。

葬儀会場で驚きの光景が…

絶望の中で、彼女は日本で行われた葬儀の様子をみて驚きます。

なんと、千人以上の方が葬儀に参列していたのです。

韓国に帰国後も日本からの手紙は届きました。

「心動かされました」

「スヒョンさんのように心の温かい人がいると知ることができて良かった」

ユンチャンさんの日本人に対するイメージが変わった瞬間です。

そして、息子が夢見ていた
「日韓を結ぶ希望の光のような存在になったのだ」と気づきます。

息子の意思を継ぐ決意

それ以来、日本を毎年訪れ、息子の夢であった
日韓の架け橋になる活動を始めました。

寄せられた募金から、日本にくる韓国人留学生のための奨学金を設立。

また、日本語で手紙を読みたいと日本語の勉強も始めます。

しかし、日本に対してマイナスイメージを持つ韓国人も多く
批判の声や国の関係悪化からイベント中止などの困難も続きます。

2019年、最愛の理解者である夫がなくなります。

しかし、「日韓の架け橋になることは、息子が私に残した宿題。
私の命が尽きるまでまっとうしなければ…」

と彼女は活動を続けます。

今では千人以上の韓国人が、この奨学金を使い
日本に留学にきました。

そして多くの韓国人留学生が
「私たちも、亡くなったスヒョンさんのように、
自国と日本をつなぐ架け橋になりたいんです」

と夢を抱いているそう。

日韓の架け橋になったスヒョンさん

スヒョンさんの夢「日韓の架け橋になる」

彼の夢は彼が亡くなった今でも多くの人に
受け継がれています。

スヒョンさんの想いを決して私達も
忘れてはなりません。

みんなの声

参考:イミシン

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